御祭神 大山咋神(おおやまくいのかみ)鎮座地:高山市城山156番地
由緒と歴史
・永治元年(1141)三仏寺城主飛騨守平時輔、片野・石浦境の山上に近江坂本より「日吉山王宮」を勧請。
・養和元年(1181)木曾義仲の兵火にかかり日吉社を焼く。片野の里人杉ケ平にご神体を移し片野村の産土神とする。
・天正十三年(1585)金森長近飛騨一国を平定。
・天正十六年(1588)金森長近築城及び城下町造営に着手。
・慶長五年(1600)金森長近杉ケ谷神明宮を再建する。
二代金森可重 長近の命により日吉山王宮を杉ケ平より現在地へ奉還。社殿を造営し城の鎮護神及び国府の産土神と定める。
社僧真言宗国分寺良伝。(後世松樹院)
・元禄五年(1652)金森氏出羽上山へ移封。飛騨一国幕府天領となる。
・宝暦年中(1751~)高山祭屋台の本格的建造が始まる。
・寛政八年(1796)川原町にお旅所始まる。
・文化十三年(1816)本社神輿一対二座を建造。
・明治元年(1868)神仏分離令により山王宮は日枝神社となる。
・明治二十二年(1889)第一回日枝議会が開かれる
・明治二十三年(1890)日枝臨時議会にて「日枝神社例祭式章程」を議決。
青竜臺組の永年宮本を廃し各組交代の宮本制度を定める。
・明治四十一年(1908)お旅所を河原町一番地(現在地)と定める。
・昭和十年(1935)大雨の為裏山崩壊、本殿・幣殿倒壊。
・昭和十三年(1938)新本殿竣工。旧本殿を富士神社とする。
・昭和十九,二十年例祭ご巡幸を中止。
・昭和二十一年(1946)宗教法人日枝神社となる。
初代宮司森本栄樹、権禰宜藤枝大和。
・昭和三十三年(1958)式年大祭を執行 五月三日より五日間国中236社招請
・平成八年(1996)遷座四百年祭記念臨時大祭執行。
四月十三日より三日間、国内277社招請。
末社 天満神社 祭神:菅原道真公
稲荷神社 々 :倉稲魂神(ウガノミタマノカミ)
恵比寿神社 々 :八重事代主神(ヤエコトシロヌシノカミ)
富士神社 々 :木花開耶比売(コノハナサクヤヒメ)
金毘羅神社 々 :大物主神(オオモノヌシノカミ)
産土神社 々 :高皇産霊神(タカミムスビノカミ)
神皇産霊神(カミムスビノカミ)
神明神社 々 :天照大神(アマテラスオオミカミ)別名杉ケ谷神明神社
大山咋神(おおやまくいのかみ)について、我が国最古の古典「古事記」には次のように書かれています。
「大山咋神、又の名は山末之大主神(やますえのおおぬしのかみ)。近淡海(ちかつおおみ)の国の日枝の山に坐し、亦、葛野(かずぬ)の松尾に坐(ま)して、鳴鏑を用つ神ぞ。」
大山は日枝(比叡)山を意味し、「咋」は主の意味と考えられている。即ち大山咋神は、太古の昔から近江の国日枝山(ひえのやま)に坐します山の神であったと伝えられています。
4世紀頃日枝の山の麓に神の御社が建てられた。全国3000社といわれる日枝神社の本宮日吉大社(滋賀県大津市坂本)の始まりです。
日枝の神は長い間「山王さま」、「山王権現」とよばれてきました。こちらの方がなじみがある方も多いと思います。